私は今、ノリにのっている。
つまり、ノリノリだ。
ギャル風に言うと、テンションがアゲだ。
何故か分からないが、やる気がみなぎってしょうがないのである。
こんな時は、なんでも出来てしまう気がする。
今なら、何にだってなれてしまう気がする。
やる気がみなぎっている私は、頭の中にやりたいことやするべきことの構想やイメージがあふれるほどに湧いてきて止まることがない。
またこれから落ちることもあるかもしれない、なんて今は考えたくもないので、今頭の中にある私のプロットとどこから来ているのかも分からないこのパッションを忘れないうちに書き記しておこうかと思う。
ざっと頭の中にあることは大きく、こんな感じ。
① 2019年夏期講習の参戦と塾経営の勉強
② フェミニストとしての活動を行う
③ LGBT団体に所属し、ボランティアに参加する
まだまだあるのだが、書き始めるとキリがないので、その中でも優先順位の高いこの3つを書いたまでである。
①は今夏、日本へ一時帰国する際に行いたいと考えている塾での夏期講習。
また、今まで持っていた生徒で引っ越しの為見ることの出来なくなった生徒の様子も見に行きたい。
その際に、私の最終的な目標である「英語塾の経営」の再確認や、経営や教室の雰囲気、教材の傾向等、塾を経営するにあたり、重要なことを目を光らせてどんどん盗んでやろうと思っている。
今からでも出来る準備はしていきたい。
②はフェミニストとして何かしらの活動をすること。
実は私自身、”フェミニスト”と初めて聞いたとき、あまり良いイメージが無かった。
しかし、このウーマンフロンティアこそが社会と女性について考えるきっかけを与えてくれた。
今までの私のイメージは、「社会の中で女性は上の地位を目指す際に不利」だとか、「ビジネスをするにあたり、女性は性差別を受けている」とか、会社という社会、そしてビジネスや政治で上のステータスを目指す”働くうえで強い女”という認識でしかなかった。
これも、もちろんフェミニストが唱えていることでもあるが、何となく私の実生活との結びつきが無いような気がして、遠いことのような気がしていた。
しかも、フェミニズムを唱える女性は、ヒステリーだとか、過激だとか、そもそもフェミニストは何をやっている人たちなのかと批判的な意見をよく耳にした。
(まず、これこそが、間違っている認識で変えなければならないことなのだけれども)
しかし、実際はそんな遠いことではないということに気づいた。
あれ、身の回りでもあるじゃん、これ!
この概念こそ、直さなきゃいけない概念で、一人ひとりが変わらなきゃいけないことなんじゃないの?
じゃあ、私も発信していかないと。という気持ちが生まれた。
「もう20代半ばを過ぎているのに、結婚しないの?」
「生理が重くて会社を早退したけれど、白い目で見られた」
「女って結婚っていう逃げ道があるからずるいよね」
あちゃ~、まだまだ、改善の余地あり。
というか、余地しかない。
ということで、フェミニストとして、私も声を大にして正義を唱えようと決めた。
そして③のLGBT支援団体に参加をするということ。
LGBTについての意識は、大学時代に劇的に変わった。
私が留学していたシアトルという都市は、LGBTが最も住みやすい都市として選出されているほど、同性パートナー世帯の割合や性へ対しての認識率が高い。
私は、そこで何人ものLGBTの人に出会った。
面白いことに、そこで出会ったLGBT全員今でも濃い付き合いをしている。
大学では、同性婚についての論文も書いたし、ゲイパレードもゲイバーにも何度も行った。
まあ、LGBTというくくりにすること自体も私からすると「?」と思うことがあるが。
だってみんな、同じ人間だし。
一人ひとりの個性を持って”一人間”として生きているだけじゃん。
日本に帰ってからLGBTの認識の薄さに気づいた。
そして帰国してから1年ほど過ぎた時、ようやくLGBTについてのメディア報道等を目にした。
けれど、それがまだ珍しいという風潮にあり、特別視されてしまう日本に違和感と疑問をずっと感じている。
私の目から見ると普通なのに、日本という島国の中での概念は、LGBT=性的マイノリティ、障害といった言葉まで飛び交う。
そもそも性的マイノリティと呼ばれているということもおかしい気がする。
日本は、世界有数の経済大国である。
アジア唯一のG7加盟国。
日本という国に誇りを持つ一方、この国はG7に加盟している国の中で唯一、同成婚が認められていないことに落胆する。
最近は、”同性婚パートナーシップ”等と呼ばれる制度が誕生し、東京の世田谷区を始め、最近では福岡もこの制度に同意、導入した。
日本各地でこの制度を取り入れようという運動もあるが、これは、結婚とは程遠いものである。
同性婚を海外でしたカップル、日本でパートナーシップ制度にサインしたカップルの記事をいくつも読んだが、どれも日本の同性婚への在り方についての意義を唱えていた。
ということで、私も日本のLGBTにおいてのリアルを直に感じ、ベタな言葉であるが、環境の改善をしていきたい。
全人類、人間としての平等と平和の為に。
正直、私は昨年末から今年にかけてスランプが続いていた。
自分が更新してきたブログを読んでも、殆どが今ある状況にもやもやと落ち込んでいるけれど、何とか鼓舞をしなければいけないという内容だった。
しかし、ここ最近の私は何かが違う。
何で違うのかは分からない。
天気がここ最近良くて、気分がいいからか?
何故だか、溢れ出るものが止まらない。
歳を取れば取るほど、勢いと気力を持つことが難しい。
私はまだ25歳だが、20歳の、あの頃のギラギラ燃え滾っていた自分と比べると今は幾分も億劫になっている。
そんな私に、いきなり、また、心に火が灯り、それがどんどん燃えてきて、その炎が止まらない。
この記事も、かれこれ2時間パソコンとにらめっこしながらも、私の頭にあることをブワーーーっと思うがままに書き記している。
いつの間にか2000文字も超えているし。
先ほども言ったが、今、私は何にでもなれるのではないかとさえ思う。
鳥になって空を飛びたかったら、目をつむり、想像する。
青空に、綺麗な山々、そこには川が流れていて、そこに翼を広げ気持ちをよく飛んでいる。
私も、この、自分の頭の中にあるアイディアを、目をつむり、想像する。
幸せな自分を、成功図を、思い浮かべる。
でも、成功図を思い浮かべるには、それまでのプロットを立てなければならない。
それをああでもない、こうでもないと考える。
そうか、私たちは何にでもなれるのか。
こんなにも突然にこの気持ちが宿うものなのか。
それでも、戸惑いながら、一つずつ、考える。
こんな時に、聞く歌がある。
夢に向かって全力で走る自分とどうしようもなくリンクしてしまう歌。
今日は、この歌で、おしまい!
「夢」 THE BLUE HARTS
あれも欲しい これも欲しい
もっと欲しい もっともっと欲しい
俺には夢がある 両手じゃ抱えきれない
俺には夢がある ドキドキするような
家から遠く離れても なんとかやっていける
暗い夜に一人でも 夢見心地でいるよ
建前でも本音でも 本気でも嘘っぱちでも
限られた時間の中で 借り物の時間の中で
本物の夢を見るんだ 本物の夢を見るんだ
あれもしたい これもしたい
もっとしたい もっともっとしたい
俺には夢がある 毎晩育ててる
俺には夢がある 時々ビビってる
なんだかんだ言われたって いい気になってるんだ
夢がかなうその日まで 夢見心地でいるよ
建前でも本音でも 本気でも嘘っぱちでも
限られた時間の中で 借り物の時間の中で
本物の夢を見るんだ 本物の夢を見るんだ
あれも欲しい これも欲しい
もっと欲しい もっともっと欲しい
あれもしたい これもしたい
もっとしたい もっともっとしたい
(もともとwomenfrontierで書いていたものを転載しています。日付は筆者が当該サイトで投稿した日に設定してあります。)