EFL英語塾代表の平野真世です。
今回、編集長の田形真子さんからお話を頂き、Startupブログを始めさせて頂くことになりました。
私は9月からフランス・パリに住み、日仏間でオンラインの英語レッスンを行っています。
元からパリに住んで仕事をしていたという訳ではなく、結婚のタイミングで越してきた為、パリでレッスンを行っていますが、本当は日本にこのまま住み続け、少しずつ市場を大きくし、一人でも多くの日本人の英語教育に貢献したいという気持ちがありました。
また、日本にいるという選択肢も無い訳ではなかったのです。
ですが、どこからともなくやってくる私の直感が「パリに越すのは今しかない!」と私に言ってくるのです。
その直感だけを信じ、日本を飛び立ちました。
フランス語を話せる訳でもなく、ヨーロッパという環境にも慣れなければならない。
事業登録の仕方も、法律も、規定も何もかもが違う!
その中でビジネスをするなんて!
日本にいる時、そんな声もたくさん頂きました。
何か新しいことを始める時は、心配や批判の声が必ず上がります。
しかし、能天気ウーマンな私は、
「なんとかなるでしょ!」
この気持ちだけで本当に今までなんとかやってきております。
パリでオンライン英会話をすることに・・・

そんなこんなで今現在はパリでオンラインレッスンを行っていますが、これまで様々なことがありました。
というのも私は最初から講師志望でもなければ、教えるということに全く興味がありませんでした。
ではなぜ今講師をしているのか?
本日は始めの投稿ということで、バックグラウンドと共に私がビジネスを始めたきっかけを少しお話できればと思います。
アメリカの大学を卒業後、日本に帰国した私は就職活動を始めました。
その傍らしていたことが塾講師のアルバイトでした。
始めは「日本でも英語が生かせるからこのバイトでいっか、家からも近いし。」そんな気持ちで応募したアルバイト。
就職するまでの間に何気な~く始めたこのアルバイトこそが私の原点です。
「出会いは突然やってくる」と言いますが、本当ですね。
最初は”教える”という技術が完全に備わっている訳でもなく、生徒とのコミュニケーションにも、教えることにも苦労しました。
もちろん、講師陣とのコミュニケーションも。
時には”アメリカ”から帰国したての留学生”という少し過剰とも言える色眼鏡で見られたことも。
しかし、経験を積むにつれ、教えるということが私の中の喜びに変わっていきました。
「出来なかった問題が、出来るようになった!」
「偏差値がこんなに上がった!」
「この文法が分かるようになった!」
このような声を聞くたびに、私は講師として喜びを噛みしめました。
そしてその喜びがいつしか私の糧となっていったのです。
しかし、アルバイトはただのアルバイトでしかありません。
アメリカ帰国後、当時の私が本当に就きたかった職業は留学をしたい方々のお手伝いをする”留学カウンセラー”という仕事。
そしてアルバイトをしている途中に留学カウンセラーとしての採用が決まり、留学斡旋会社に入社しました。
この会社で私は様々な経験をすることとなります。
留学カウンセラーになれた喜びはありましたが、同時に留学カウンセラーはとても体力のいる仕事でもありました。
そして厳しい上司の元、毎日朝早くに出勤、22時近くまで残業、深夜に帰宅するという日々が始まりました。
平日は、家に帰って寝るだけ、休みの日も疲れを取るためほぼ家で寝ているという生活。
また、人間関係や上司のやり方、会社の方針にずれがあり、「私は何で働いているんだろう?」「私は何も出来ない無能な人間なのではないか。」という疑問さえ抱き、苦悩の日々でもありました。
無理をしすぎて胃腸炎になり、会社で倒れたことも。
この当時は自律神経失調症でもあり、吐き気やめまい、寒くないのに汗をかいたりすることもしょっちゅう。
体重も減りました。
抑鬱発症・・・こんなの私じゃない・・・

そして、抑鬱発症。
精神病院にも通いました。
気づいたら就職してから病院の診察券は4枚に。
その時にふと感じたことがあります、
それが、
「私が私じゃない」
ということ。
当時の私は周りが完全に見えなくなっており、辞めることによって私がどうこの社会から責め立てられるのではないかという恐怖と闘っていました。
そして、なかなか辞めることを決断できずにいたのです。
人生のターニングポイント
そんな時に言ってくれたのが、母の一言でした。
「嫌われたって、どう思われたって、どうでもいいじゃない。どこへ居たってあなたはあなたのままで生きられればいいんだよ。」
何てことない一言だったのですが、その言葉にはっとされられました。
本当に、言葉のとおり、「はっ…!」と。
その瞬間、心に光が差し込み、次に進むという気づきを得ました。
「なーんだ、そんな簡単なこと!」と思う人もいるかもしれません。
でも、私にとっては間違いなく必要な気づきでした。
本来はとても単純なのに、自分で困難な方向に持って行ってしまっていたのでしょう。
それから間もなく、私は医師に診断書を発行してもらい、その診断書と退職届を提出、無事に退職しました。
そして仕事を辞めた私が真っ先に見た転職欄、それが、教育です。
その後、私は同じ会社の傘下にある塾及び英会話教室で、英語/英会話講師として働きました。
そしてその時期、当時出会ったWomen Frontier編集長、田形真子さんとお話する機会がありました。
田形さんは私にきっかけを与えてくれた人の一人でもあります。
彼女の真っ直ぐさ、そして英語教育にかける情熱は胸を熱くするものがあり、これまでにないワクワクと可能性を感じたことを鮮明に覚えています。
一女性として、目標を持ち、真っ直ぐに立ち向かう姿。
キラキラとして輝いており、憧れさえ覚えました。
「私もこう生きていきたい。」
少し自分の”起業”というビジョンが見え始めた瞬間でした。
会社で働いているうちに、もっと自分で挑戦したい、物事をリアルに感じたい!という気持ちが大きくなり、良いのか悪いのか、その気持ちは止められなくなりました。
止められるような気持ちだったら今ここで、こうして執筆をしていないと思います。
この出会いが、次に進む気づきをくれたのです。
こうして私は今、講師として英語を教えています。
”人生にはターニングポイントがある”とよく聞きますが、私は本当にあると思います。
なぜなら、私自身がその証明であるから。
私は、自分の人生に起こること全てが面白くて仕方がないのです。
そんな訳で。
ワクワクと情熱を抱き、今日も”英語講師の平野真世”として教育を与え続けます。
私が私である為に。
(もともとwomenfrontierで書いていたものを転載しています。日付は筆者がが投稿した日に設定してあります。)