1月もう9日。
でも、まだ9日?という気持ちでもある。
時が不思議と早いようでゆっくり、ゆっくりのようで早く進んでいる。
意味わからないかもしれないけれど。
振り返ると、昨日が遠い昔のようで、でも数字だけ見るとそうでもない。
4日から授業もスタートして、日常生活に戻りつつあります。
今年に入ってからすごく思うことは、自分のやりたいように楽しむ、ということ。
そしてもっとこの物質的な社会から私が抜け出すこと。
どんなに偉大だと称えられている人は思ったよりも、ずっとずっと利己的な人が多かったり
否定的な人の意見を聞いていてもモチベが下がり不安になるだけで何も役に立たなかった。
結局は自分の人生のキャンバス自分で彩ろうっていう話。
私は自分の楽しまなきゃ意味は無いと思っているので、自分を苦しめてまで強制してやらなければならないことはしたくない。
もちろん、仕事上やらなければならないことはやるけれども!!というか、その為だったらやれちゃう。
やれちゃう、なら好きなことの為に自らやっているから苦なんだけど、苦じゃない。
でも満員電車だけは本当に、乗りたくない。(笑)
今は一人ひとりの生徒自身に向き合うということをとにかくしていきたい。
学生は特に、親御さんがあっての授業。
だけれども、今の現状として学生自身と親御さんが一緒に二人三脚、ではなくどちらかが行きすぎたり、どちらかが悲鳴を上げていたりとバランスが取れていないことが本当に多い。
私の家庭では母が目先の成績や学校に受かるということ、そしてそれが正義だということに行きすぎていて、私自身は成績も悪く、それにこたえられない自分だった。
知らず知らずのうちに自分を諦めていたし、それが普通のことだと思っていた。
そしてそういう私に向き合ってくれる先生は一人もいなかった。
もしあそこで誰か先生が一人でも私の”勉強”や”成績”ではなく、私自身という一人間に向き合ってくれていたらどうだっただろう。
生徒と向き合うことって学生だと尚更難しくて、皆十人十色だし、性格も違う。
ズルする術を知っていたり、他人を警戒したり、でもやっぱり純粋で素直で心の中はとても綺麗で。
でもそこと親御さんの方向が一緒でないと、私はどちらに寄り添えばいいのか分からなくなる。
こうしてほしい、という意見と、子ども自身の気持ち。
知識が無いと動けだせないし、やりたいことがみつかってもまず受け入れられないかもしれない。
でも学歴等のステータスだけにこだわると知識があっても中身が育たない。
やりたいことが見つかったとき、どうやって動き出していいのか分からない。
そもそも、学歴社会の枠の中だけにいたらやりたいことが見つかるのかどうかすらも危ういかもしれない。
一人ひとりがしっかりと意思を持って自分の将来に希望が見出せるようになるにはどこまで社会は変わらなければならない?
そして私はどう変えていかなければならない?
生徒一人ひとりに、出来ることは何なのか。
それは、もちろん英語を教えるということだけではない。
あなたは、駄目なんかじゃない。
馬鹿なんかじゃない。
臆病でもない。
何も出来ないなんてはずがない。
そこに、存在しているじゃないか。
生まれている時点で誰かの人生の一部に、なっている。
ありがとう。
人生の道を示すための、僅かな希望に私はなりたい。