「もうそろそろ・・・頼むから女性から変わろうよ。」
最近はそんなもどかしい気持ちになります。
日本では、
女性の権利獲得のために、
男性社会で奔走する時代はすでに終わっている!
権利を獲得するために男性を説得する必要なんてないんです。
女性がすでになんでもできる時代であることを自覚し、 自分の気持ちに従って行動すること
だけです。
もちろん、法的、もしくは、制度的問題は山積みなのでしょう。
しかし、
人口の半数の女性の意識が変わったらどうでしょうか?
法律や制度は、世論が動かしているのであれば、
自然と変わっていくはずです。
日本女性の意識がどう変わればいい?
その答えは
「犠牲」や「我慢」を美徳ととらえずに、
「世のため」「人のため」に自分自身をまずは幸せにすることです。
女性がまずは心地よい状態でなければならない、という意識です。
男性を上や下に置かない、
家族や社会に迎合しない、
従うのは自分
、と言う意識を持つことです。
そのように私が考えるようになった一つの本があります。
2018年ノーベル平和賞の受賞者のナディア・ムラド(Nadia Murad)の
「THE LAST GIRLーイスラム国に囚われ、闘い続ける女性の物語」です。
ナディアはISISの性奴隷として扱われた絶望的な状態からなんとか逃げ出し、平和活動家として活動を始めました。
国連大使にも任命された彼女が、自叙伝でその壮絶な体験を記しています。
性奴隷として連れてこられた家にいた、自分の母にも似た老女。
彼女は、おそらくナディアが性奴隷である状況を知っているはず。
女性として、それがどれほど辛いことかを、その老女はわかってくれるかもしれない。
哀れんでくれるかもしれない。
そう期待した彼女ですが、冷たい老女の対応にその期待は脆くも崩れ落ちたのでした。
彼女は著書の中で、
「私は彼女を憎んだ。…..、この街を男たちに占領させたからだ。」
と言っています。
要するには、
女性の立場をここまで残酷に貶めたのは、実は女性なんだと。
ISISの女性たちが、「性奴隷はおかしい」、と声をあげていたら・・・と考えずにはいられません。
日本人の私たちにとっては遠いことに思えるかもしれませんが、本当にそうでしょうか?
「女なのに、料理も作れないの?」
と言われた時は?
「女の子なんだから、もっと気を遣ったら?」
と言われたら。
上司に、
「だから、女性は・・・。」
と言われた時は。
引きつった笑顔を見せたり、謝ってみたり。
それどころか、自分を責めたり。
そうやって、言われている女性を、男性と一緒になって咎めたり。
声をあげない、という点に置いては、ナディアの老女と一緒です。
守るものは
目の前にある慣習や男性社会から発せられる言葉じゃない。
自分の心です。
女性としての心地よい感覚です。
違和感があれば、そこで躊躇なく言えること。
真の強さは、男を打ち負かすためにあるのではなくて、
自分が自分であるためにある。
だから、違和感を無視しないで!!!
自分を苦しめる発想や発言を無視しないで。
一人一人がその意識があれば、
男性主体の社会は存続していけないはずです。
ましてや、今の日本は、女性が活躍する社会を応援する方向へ向かっているのですから、
今こそ、女性の意識を変えて、
日本や世界を変えていきましょう。
(もともとwomenfrontierで書いていたものを転載しています。日付は筆者が当該サイトで投稿した日に設定してあります。)