先日、スクールでの仕事で生徒さん達とお話ししてたときの事。
規定により、個人的な技術とかの質問や指導が行えない環境下だったので、
「セラピスト自身で自分を守ること」とか心構え的なことを今後この生徒さん達が仕事として長く続けて欲しいという思いでちょこっと余計なお世話なアドバイスをさせて頂いた。
本当にちょっとしたことだけど、食らいつくように、ありがたいと言ってメモを取り、次のアドバイスをおねだりする目で見られていた。
「なんか、すごく必要とされてる?」
この生徒さん達は卒業後、クラスメイトでグループラインのやりとりはするものの、ほとんどが地方の生徒さんで直接会うこともなく、技術的に不安なことをお互い話し合っても正しいかどうかも分からず悶々と過ごしていたという。
生徒さん達、この辛いのを思い出して、
「この場合は?」
「こういう風に習ったけど…」
と次々に質問をぶつけてきた。
色んな制約のある中での事だったし、部屋の退出時間も迫っていたので、後ろ髪を引かれるように解散となった。
「必要とされてるのに役に立てない」
あ〜〜
教えてあげたい!
質問全部答えてあげたい!
私の経験からくるもので彼女達の疑問を晴らしてあげたい!
一生懸命な彼女達だからなんとかしてあげたい!
めちゃめちゃもどかしかった。
彼女達の質問疑問を解決したら、絶対上手になるのに…
「必要」とされてるのに役に立てないもどかしさ。
卒業後の補講って需要あるんじゃない?
在籍中よりも卒業後の方がたくさん聞きたいこと出てくるよね。
卒業後の補講クラスがあったらいいのにね。
スクールのことはどうにもできないので、
私が担当する実技講座では、思う存分惜しげなく情報提供しようって思った。そう、お客様、生徒、仕事に対する姿勢を改めて考えさせられる出来事だった。
「必要とされる」って嬉しいことだな。
そういう視点で日常の周りみたら、たくさん「必要→需要→仕事」のタネは案外その辺に転がっているのではないか…軽く見過ごしてるのではないか…
そんな風に考えるようになった。
必要とされているところに行きたい。
何が求められているか、私に何ができるか。
そんなことばかり考えている。