10月に最も悩んでいたこと。
私が英語を教えるということでこの物質的な社会構造に子どもたちを送り出す助長をしてしまっているのではないか、ということ。
前の記事でも書いたけれど、”勉強”というカテゴリーだけで縛られる。
そのカテゴリー内で優劣が出来、勉強が出来る人が偉い、出来ない人がダメな人。
出来ない人は自信を失い、自分自身を諦める。
学歴コンプレックスなんて言葉も生まれる。
偏差値の高い有名大学に行った人間が一流で、そこから大企業や官僚へ行ったらエリートと呼ばれて鼻高々。
まあそんな人たちが作った社会が今の社会なんだけど。
勉強が大事だと言われて学校や塾で課された課題を必死にこなす。
学歴はあるけれど、本当に自分がしたいことは何か?を考える暇もなく社会に出る人間も。
敷かれたレールの上で、可能性をそのままに。
もちろん、幸せな人生は一人ひとりが感じるものだから、一概には言えないけれど悩んでいる人間がわんさかいる。
人身事故も絶えない。
居酒屋に入ったらスーツのおっさんたちが仕事の愚痴を言っている。
辞めたいけれど怖くてやめられない新入社員。
あーー、明日も仕事かよ、やってらんねーーー!なんて声をよく聞く。
ストレス発散するかのように飲み散らしている人もいる。
でもさ。。
仕事って本来自分が心から歓びを得られるものだと思うのね。
辛いことも、嫌なこともあるけどさ。
私は、休日は仕事でベストパフォーマンスをする為に士気を上げる時間だと認識している。
よし!リフレッシュしたから明日もベストな自分で仕事するぞーー!!
というか、ぶっちゃけ休みが無くても大丈夫だと思う。
気分転換は必要だと思うけどね。
夜の街に繰り出さなくても、お酒飲まなくても、人生楽しめるんだもん。
仕事が、私が生きていることを実感させてくれるから。
仕事が、自分自身を削って削ってやっていくものだったら辛いよね。
そういう人が大半だと感じるけど。
自分が嫌だな、とか、違和感を感じることってやっぱり自分らしくない時なんだよね
仕事で自分を削るのではなくて、自分を自分として出せるといいんだよね。
でも、この社会ではそうではない。
そんな社会構造から一歩引いて社会を見たとき、学歴とか、企業とか、なんて小さくて、馬鹿げた世界なんだろうと。
私は英語を教えているのだけれど、それは学校生活のうえで、高校受験や大学受験をするにあたって必要なものでもあって。
親御さんの希望、そして生徒の希望に沿ってやっている、そしてその中で生徒自身が自分の成長を感じられたらと思い英語を教えていたけれど
成績とか、受験とか、ひょっとしたら私はこの社会構造にはまる人間になるような、そんなことをしてしまってる?!
英語を教えること自体がそうなのか?
実際、成績とか偏差値とか上げるの好きだし、燃えるし、合格してほしいし。
もっと色々考えるところはあるのだけれど。
そんなことで、仕事辞めたいまで考えました。
と思っていた…
だって自分自身が一番楽しくなくなっちゃって
ワクワクもしなくて、こりゃだめだ、なんて
そこで、初心に帰った。
初心に帰るまでが時間かかった。
そうしたら、やっぱり英語教えるの楽しい。
ということに行きついた。(笑)
ごちゃごちゃ考えるの止めて、愛を持って生徒と接しよう。そんで、英語教えよ。
色んな感情の変化があったけれど、私には過去は無くて、今しかないので。
もう違う自分。
しょーもな!って思うひともいるかね。。
意外とこういう落とし込み、出来ないんだよーーー!!!
って感じおわり。