週に1回、ピアノを弾きに行っています。
弾きに行っていると言っても、知り合いの家でピアノを貸してもらって自由に弾かせてもらっているという感じ。
フランスに来るとき、どうせピアノは家に無いし、弾かないだろうなと思って楽譜は一切持ってこなかったけれど弾く機会があったので持ってこなかったことを猛烈に後悔。(笑)
シアトルにいる時は弾くかな?と思って楽譜を持って行って大正解。
シアトルでもピアノを弾く機会があって定期的に弾いていた。
これだけは、超不思議。
どこに行ってもどこに住んでもピアノを弾く機会が巡ってくる。
何故だか分からないけど。
仕事を始めてからはどうしてもピアノを弾く時間が無くて、レッスンを習っていたけれど強制してその時間を作ることも惜しくて、4歳から習っているピアノを辞めた。
音大付属の音楽教室に修了過程まで通って、ピアノにオルフメソード、チェロ、ソルフェージュとちょいと本格的に習っていたので、クラシック音楽は自分の生活の一部というか、切り離せないものであると思っていた。
飽くまでも、思っていただけ。
そう自分で思いたかったのか、周りが本気で挑んでいる人達ばかりだったからそう感じたのか。
確かにピアノは好きだし、クラシック音楽も大好き。
でも、それに人生をかけるかと言われたら私はかけないし、自分の今の人生の中でピアノが占める割合は大きくない。
パリに引っ越すからどうせ辞めなければいけなかったけれど、長年続けてきたレッスンを辞めるときも自分の気持ち的にどうなんだろう?と思ったりしたけれど、全くそんなことはなく、すんなり辞められた。
と言うか、他に夢中になっていること、即ち仕事があったから他のものに囚われるのが嫌だった。
あとは、ピアノを弾くことで囚われると感じている自分が危ないなとも思った。
単純にあの頃はとにかく時間がなかったというのも理由。
その時間を割かなければならないということが正直煩わしかった。
でも今こうして週に1回ピアノを弾きに行っている。
こうしなければならない、ああしなければならないと考えることがなくなったから気が楽というのがあるかもしれないけれど、私の息抜きになっていることは確か。
やっぱりクラシックの音色は癒される。
特にヨーロッパに住むと、やっていて良かったと思うことのほうが大きい。
4歳から始めたピアノ。
嫌で辞めたいときも、レッスンに行きたくない時も、辞めさせてくれなかった(笑)母のお陰と、音楽教室の友達、恩師のお陰があってここまで21年間続けてこれたのだと思う。
この継続というものが私にとって大きな自信と、ちょっとした自慢でもある。
自分には何も無いわけじゃない、ピアノがある、と。
私には教えることの他に、ピアノという財産がある。
そう思えることだけで、何かちょっと、ラッキーな気分になる。(笑)
今この経験から言えることは、継続はマジで力なり。
「よし!やってみよう!」って気軽に始めることは簡単だけど、そこから継続させることが超難しい。
何故ならば絶対壁にぶち当たるときが来るから。
私の今の仕事と同じ。(笑)
どう耐えて、どう乗り越えるか、そして変わらず継続させていくことこそが力となる。
だから、仕事も同じく諦めずに、この気持ちと行動を継続させていく。
やってやる!と意気込んだものだから、出来るハズ。
えいえいおー!