声優をしている父に自分の売り出し方を聞いてみた DAY115




「新製品が安い♪ケーズデンキ!」

このテレビCMの声、聞いたことがありますか?

この声、実は私の父の声なんです。

父は高校時代、バスケ部だったにも関わらず、声が良いからという理由で弁論部にスカウトされ、弁論大会東京都代表に、そして全国大会で2位を収めたらしい。

(しかもその後すぐに弁論部を辞めたらしい)

そして大学時代に文学座に合格、俳優を経て声優になった。

そんな父に、ふと、「どうやってこれまで自分を売り出していたの?」とメールで聞いてみた。

そうしたら、意外にも長々とメールが返ってきた。

芸能界はまず実力(魅力も含め)+所属プロダクションが、良い仕事を取るために重要です。まあ、サラリーマンでも、どの世界でも基本は同じかな。

パパの場合、この仕事を選ぶにあたり、まず考えたのは、自分がこの仕事に向いているか?容姿は別として(笑)、少なくとも演技・パフォーマンスの才能があるか?

そのためには、サラリーマンと同じく、一流企業に入るのと同じ。東大・京大・早稲田慶応など出身者は、初めからエリートコースが用意されているように一流の養成所に入ることが、スタート。

当時、ジャニーズ事務所はまだ小さく、アイドルも郷ひろみくらいしか出ていなかった。ジャニーズは、まず顔・スタイルが超いい男を厳選するスカウト制だし、特殊。

だから一般に力試しするには、無名塾か文学座・劇団四季に受かれば、まずエリートコースに乗れる、と言われた。

しかし、倍率が凄く、無名塾は2000人くらい応募して、合格者4人くらい。因みに神保(俳優の神保悟志さん)は最終の8人くらいまで残り、仲代達矢の家で一週間生活したところまで行き、落ちた(笑) 

文学座は3000人くらい受けて60人くらいが合格。上智大学を借りて、筆記試験だぞ(笑)その後、2次・三次と二日間も試験があった。

パパは文学座に受かったことが、自信となった。当時は文学座養成所出身というだけで、良いプロダクションに所属することができました。

しかし、良いプロダクションに入れても、仕事はきません(笑)

そこで良い人間関係を築く人に仕事が入り、更に仕事関係でお世話になったプロデューサーや、制作会社の人たちに、盆暮れの付け届けなどを、こまめにする人などに仕事が行く(笑)

パパはそのどれもやらなかったことを、一時期反省しましたが、最近は無理してやらなくて正解?だったかなとも思います。

いま、一番想うことは、仕事が増えるというか、売れる人は人に惚れられる人。

どんなに実力があっても、自分ひとりでは無理。

ビートルズでさえ、バーンスタインという名マネージャーと出会わなければ、売れなかったかも。だから、ブレーンというか、マネージャーに惚れられること!

あとはその業界の大物に気に入られること。

パパも一時期、賢プロの副社長(初代ワカメちゃん・しずかちゃんの声)に気に入られた時は、今思えばアニメの仕事や、良い仕事がポンポン決まった時期があった。

でも、パパは生意気で、彼女に反抗してやめた(笑)ときから、声優のスター路線から外れてしまいました。

パパが結婚式の司会をした、某有名女優が所属するプロダクション女社長がこうスピーチをした。

その女社長は「私は彼女(有名女優)のためなら、命も惜しみません!」とハッキリ言いきった。そこまでして、彼女の事を思い、必死に仕事を取っている迫力を感じた。

しかし、それだけ惚れさせたのも、その人の魅力・実力といえます。

だから、いま一番思うのは、自分を世に売り出すには、実力+人脈。

それもその業界の大物に気に入られること。そして、自分の強力なブレーン、マネージメント能力のある人をつくること。

でも、これも結局は運だな!

パパの知り合いの文学座の先輩は、早稲田出てて、接待や飲み会には頻繁に顔をだし、人づきあいも良く、能動的に色んなことをやってる人がいましたが、全然売れない(笑)パパより仕事も少ない。

また大して能動的にしてなくとも、売れる人は売れる。

結局はその人次第なのか?

まずはやる気!そしてやる気が運を呼び、人脈を呼ぶ!

自分に向いていること、自分が真にやりたい!と思うことは、ワクワクしてやる気が起こるし、人との出会いが起こる!そういうことがスムーズに起こってくる。

逆に、単なる憧れや、自分に向いていないことは、いくら努力してもスムーズに行かないし、実現しない。

自分が本当にやる!と決めた時、そしてそれに情熱を注ぐとき、必ず支援者が現れるし、人が集まってくる。

そういえばパパの経験から、やる気満々で明るくふるまってた時には、人が寄ってきたな!

あとは出会い。

明治の元勲・大久保利通は、その全盛期に、挨拶に来た若き官僚を気に入り、こう言ったという。

「君は運が良い。私と知り合うか、知り合わないかで、君の将来は雲泥の差となるところだった」と。

まあ、若いのだから、頑張ってくれ。

このメールを見た時、職種は違えど通ずることはあると感じた。

なぜなら、私これまで様々な人との出会いで自分の人生が変わってきたから。

教えるという道にたどり着くまではスムーズではなかったけれど、出会いと自分の努力がここまで私を導いてくれたのは確かだ。

そしてその出会いは、自分が一生懸命に前に進もうとしている時に現れたり、その出会いがあるからこそ前に進み続けるものを見つけられるのではないかと思う。

私は父にこう返信した。

メールの返信ありがとう。

芸能界はまたプロモーションの形が違うけれど、通ずるところはやっぱりあるなと感じた。とても勉強になることが多かった。

パパは普段こう言う話を家では一切しないし聞いても声が大きくて耳が疲れるからメールだととても丁度良くて、聞きたいことをしっかりと聞けるので良いなと思った。

実は今、自分の中で本気で挑んでいることがあるんだ。

教育者としての自分を見つけられたことはすごくラッキーだと思うけれど、必然でもあったと思う。

アメリカから日本に帰国して、たまたま家が近くて始めたバイトがいつのまにか喜びに変わっていた。

あの頃の私はザ・アメリカの大学生で、怖いもの知らずで塾業界に何の考えもなく飛び込んでいったのが良かった。

当時バイトしていた塾の講師は今までまじめ~~に勉強をしてきた人たちばかりで、私が講師として塾に入った当初、アメリカから帰国したての人でよく喋るし人との隔たりが無いし、やばいやつが入ってきた!と思われたらしい。

皆最初は話してもくれなかったけど、自分らしく振舞えていたから皆がそれを受け入れてくれて今では旅行に行くほどの超仲良しになった。

あとは、私が教えることがとても上手かった。私が学生だったら今の私に英語を教えてほしい。

私は昔から頭が良くない。

良(兄)みたいな天才型でもないし、集中力も無いし、勉強は嫌いだった。というかそもそも勉強の仕方が分からなかった。

そんな自分が唯一、死ぬほど勉強したのが高校3年生の一年間と、アメリカで過ごした留学生活。

当時は辛いこともたくさんあった。

何より初めは勉強が大変だった。

やってもやってもネイティブスピーカーには追い付かないし、まず大教室では私がいるということも把握されないし。

赤点を取って教授に呼び出されたこともあった。自分から教授に勝手に論文を書いたり、レポートを書いたりしたものを送りつけたり、必死にアピールをした。

必死すぎて迷惑だとか恥ずかしいなんて思いもしなかった。

でも、そうしたらその努力を認めてくれて単位をくれた。

努力をしたからこその達成感を初めて味わった。

今思えばそんなに大変なことでもなかったかもしれないけど、あの頃の私にとっては必死に挑まなければこなせないことだった。

英語が話せることが当たり前になった時、それからは英語はただのツールでしかなくて、英語で講義を受けて、論文を書いて、ディスカッションをすることが普通になっていた。

自分が超レベルアップしていた。

そんな経験から、英語ゼロから、ましてや勉強の仕方すら分からなかったところから這い上がった自分だからこそ、出来ない子の気持ちとか、どこがどう分からないのかとか、そういうことが細かいところまで自然と分かる。あの頃の自分を見ているみたいで。

でも、ずっと就きたかった仕事は留学カウンセラーだったから、一度は教えることをやめて距離を置いた。

もう思い出したくもないけど、キツイ職場だった。

周りは優秀な人材も多かったけど、かなりのワンマン経営だった。

教えられてもないし、時間が無いからと教えてもくれないのに、出来ないと責められるし。

自分が無能な人間なのではないのかと何回も思った、本気で私みたいな人間は社会に需要がないポンコツ人間なのかと思っていたし、自分が何者なのかも分からなかった。自信を完全に喪失していた。

でも、そこで出会った女性がいた。

当時の会社と業務提携を結んでいた、英会話塾を経営している、田形まこさんという人。

彼女はアメリカの高校、大学を出た後ニューヨークで働き、その後慶応大学の大学院の法学部に入って、最終的には起業したパワフルウーマン。

私が辞めると聞いて、連絡先を渡してくれて会うことになった

再会したときに色々な話をした。

これからやりたいこと、夢、希望。

その時私が彼女に何かできることを、お手伝いでも、何でもしたいと言ったら、オンラインの生徒さんを紹介してくれることに。

業務委託提携を結んで、もう1年以上同じ生徒さんを持っている。

それからも何度かランチを重ねた。

田形さんは本当に太陽みたいな、すごく素敵な人でいつも情熱的。こんなにも情熱が溢れている人はいるのかと思う。

そして、毎回会うたびに自分の勉強不足をいい意味で思い知らせてくれる人。

彼女は女性の活躍を誰よりも応援していて、今私が事業ブログを書いている女性経営者・起業家のためのウーマンフロンティアというサイトの編集者でもある。

彼女と話すと世界がどんどん広くなっていって、どこまでも行けてしまうような気がする。

何か、大きなムーブメントを起こせそうな。

彼女なら、本当に社会を変えてしまいそう。そして、誰よりも私の背中を押してくれる人でもある。

この人に出会わなかったら、起業をしたい等と思っていないし、フランスでこうして個人事業主にもなっていない。私の人生を変えてくれた人の一人。

月曜日に初めてビジネスコンサルタントを受けた。普通にコンサルなんて頼めば何十万と超高額!だけど、田形さんが開催している、女性限定のコンサル。

お題はタダだけど、その代わりに物々交換。

コンサルを受けたら、ネットマーケティングのこと、契約書のこと、単価のこと等、勉強すべきことが山ほどあるし、今の自分に問題点もありすぎる。

まずは、ホームページのリニューアル。

ホームページを作成するのにまずはデザインを購入して、サーバーを購入して、ドメインを購入して、土台を考えて、パソコン用語を勉強して…こんなに頭を悩ませて、時間とお金がかかるなんて思っていなかった。

教えるという技術を提供する以前にこれ以外のこともまだまだやっていかなければならない。

でも、これがまず前に進む一歩。

勉強することも山ほどある、するべきことも山ほどある。

それに、モチベーションが付いて行ってくれるかという問題点も。(笑)

できない時は全然できないから進まない。

でも、猛烈にワクワクしている。

アメリカ以来に本気で意気込んでいる。

田形さんは、私の憧れの人、だけれども私は私らしく、魅力的な面白い人間になりたい。そう思ってずっと生きてきている。

こんなにも好きな仕事に巡り合えた私は本当にラッキーだと思う。仕事で落ち込むことがあってもそれは仕事でしか取り返せない。

教えることが好きで好きでたまらないということを毎回のレッスンで思い知らされる。

自分が生きている意味がここにあるのではないかとすら思う。

自分の人生の全てをかけても良い。

だから、絶対に成功させる。

目指せ月商30万!

私は、社会人になって初めて父の凄さを知った。

それまでは、”朝から晩まで喋り倒すうるさい人”の認識だった。(笑)

まあ今でもそれは変わらないところもあるし、テレビをつけてもラジオをつけてもスーパーに行ってもここでもこの声きかなきゃいけないんかい!とツッコみたくなることもあるけれど。(笑)

でも、それって超すごい。

自分の声という才能を持ち、それに価値を付け、仕事をしている。

他人が認めているからこそ、お金を得ることも出来る。

そして、それに対してバカ真面目で、信頼があり、何より人に好かれる人でもある。

どの仕事でも通ずるところがある、というよりも、それぞれの仕事、どの仕事でもそれに打ち込めている人に通ずるところがある。

何気なく送ったメール。

そのメールが私にまた、自分の人生について考えさせられるきっかけとなった。

私も一歩ずつ、前に。




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ABOUTこの記事をかいた人

EFL英語塾を経営、埼玉県立高校入試専門の英語を教える英語講師。元々は塾講師のアルバイトをしており、その後念願であった留学カウンセラーとして働くが、教えることの未練が募り半年で退社、英語講師として生きて行きたい!と再確認。現在は独立し、高校必勝英語をオンラインと家庭教師にて提供。「私らしく、面白い人生を歩む」がモットー。