男性優位社会は女性のせい DAY72




「もうそろそろ・・・頼むから女性から変わろうよ。」

最近はそんなもどかしい気持ちになります。

日本では、

女性の権利獲得のために、

男性社会で奔走する時代はすでに終わっている!

権利を獲得するために男性を説得する必要なんてないんです。

女性がすでになんでもできる時代であることを自覚し、 自分の気持ちに従って行動すること

だけです。

もちろん、法的、もしくは、制度的問題は山積みなのでしょう。

しかし、

人口の半数の女性の意識が変わったらどうでしょうか?

法律や制度は、世論が動かしているのであれば、

自然と変わっていくはずです。

日本女性の意識がどう変わればいい?

その答えは

「犠牲」や「我慢」を美徳ととらえずに、

「世のため」「人のため」に自分自身をまずは幸せにすることです。

女性がまずは心地よい状態でなければならない、という意識です。

男性を上や下に置かない、

家族や社会に迎合しない、

従うのは自分

、と言う意識を持つことです。

そのように私が考えるようになった一つの本があります。

2018年ノーベル平和賞の受賞者のナディア・ムラド(Nadia Murad)の

「THE LAST GIRLーイスラム国に囚われ、闘い続ける女性の物語」です。

ナディアはISISの性奴隷として扱われた絶望的な状態からなんとか逃げ出し、平和活動家として活動を始めました。

国連大使にも任命された彼女が、自叙伝でその壮絶な体験を記しています。

性奴隷として連れてこられた家にいた、自分の母にも似た老女。

彼女は、おそらくナディアが性奴隷である状況を知っているはず。

女性として、それがどれほど辛いことかを、その老女はわかってくれるかもしれない。

哀れんでくれるかもしれない。

そう期待した彼女ですが、冷たい老女の対応にその期待は脆くも崩れ落ちたのでした。

彼女は著書の中で、

「私は彼女を憎んだ。…..、この街を男たちに占領させたからだ。」

と言っています。

要するには、

女性の立場をここまで残酷に貶めたのは、実は女性なんだと。

ISISの女性たちが、「性奴隷はおかしい」、と声をあげていたら・・・と考えずにはいられません。

日本人の私たちにとっては遠いことに思えるかもしれませんが、本当にそうでしょうか?

「女なのに、料理も作れないの?」

と言われた時は?

「女の子なんだから、もっと気を遣ったら?」

と言われたら。

上司に、

「だから、女性は・・・。」

と言われた時は。

引きつった笑顔を見せたり、謝ってみたり。

それどころか、自分を責めたり。

そうやって、言われている女性を、男性と一緒になって咎めたり。

声をあげない、という点に置いては、ナディアの老女と一緒です。

守るものは

目の前にある慣習や男性社会から発せられる言葉じゃない。

自分の心です。

女性としての心地よい感覚です。

違和感があれば、そこで躊躇なく言えること。

真の強さは、男を打ち負かすためにあるのではなくて、

自分が自分であるためにある。

だから、違和感を無視しないで!!!

自分を苦しめる発想や発言を無視しないで。

一人一人がその意識があれば、

男性主体の社会は存続していけないはずです。

ましてや、今の日本は、女性が活躍する社会を応援する方向へ向かっているのですから、

今こそ、女性の意識を変えて、

日本や世界を変えていきましょう。

(もともとwomenfrontierで書いていたものを転載しています。日付は筆者が当該サイトで投稿した日に設定してあります。)




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ABOUTこの記事をかいた人

まこっぺ(編集長)

skype英語塾で起業し月商120万までいくものの、女性を前面に出したブランディングが嫌になりやる気がゼロに→仕事がゼロに→自分の本当にやりたい事をしよう!と一念発起し、起業当時からやりたかった「女性起業コンサル」を「物々交換」し始める。女性起業初心者に向けて、行動できる情報を発信中!