コンサルがスタートした時に、まこさんから自己分析として「メモの魔力」を勧められた。
何百も同じような質問を幼少期からずーっと答えていく。
その中の一つになりたかった職業は?で幼少期、小学校、中学校、高校、大学…20代…それぞれの年代で答えていく。
幼少期から「この科目好き」とか「将来これになりたい」という思いが皆無だった気がする。
あえて答えると…程度。
なので目の前に見えたもの。(笑)
幼稚園の時は幼稚園の先生
小学校は小学校の先生
中学校になると、教育実習生をみて、やってみたいと思ったが、現実的に「教える」は私の能力では無理と悟り、大学行って、大きな企業に入る…に変わった気がする(笑)
高校生になったらなおさら、親の言う良い会社に入る…になった気がする。全くノープラン(笑)
今から考えると、良い会社ってなんなんだろうね(笑)
幼少期から目の前に見えることしか考えられない単純なやつで、夢がないなー流されるままでいいやって思ってたなーという自己分析で終わったのだが、先日ふっと思い出したことがあった。
高校生のある日、プロ野球のキャンプの様子をテレビでやっていて、選手がグランドに寝転がって、トレーナー(当時はトレーナーという言葉は知らなかったと思う。)に身を委ねてストレッチしてもらったり、マッサージしてもらったりしているのを見て、ああいうのやってみたいと思ったのを思い出した。
選手からの言葉も
「トレーナーに助けてもらって」
「トレーナーと相談して」
みたいな感じで、めちゃめちゃ頼りにされてる人だと感じた。表に出ないけど、がっちり信頼されてる存在。
学生の時から「裏方」が好きだった。
当時は野球経験者が選手がトレーナーとかマネージャーになるんだ…くらいに思っていたので、運動してないわたしには無縁の職業の人だと思っていたので、それになるべくのアクションは全く起こしていない。
今みたいに、トレーナーになる専門学校や大学の学部なんかほぼない時代。
体育大学なんて、運動できないわたしには無縁の存在。
親は普通の学部で(普通って何ー?w)良い会社に行って早く嫁に行け…というよくあるヤツだったので、それがいいと思ってた。
私は付属校に行っていたが、学校の内部進学が結構厳しくて推薦枠に入れる人はほんの数名。あとは、一般入試と一緒に受験。進学相談の時に希望の学部が危ういと診断され、それでも親は
「絶対浪人はダメ」
「付属校よりレベル下も許さない」だった。
担任が推薦枠のある学校を進めてくれた中に、某体育大学があった。
当時はあまり偏差値にこだわらないところで、「浪人したくなかったら」…という配慮だったが、親は完全スルー(笑)
私も、何も運動できないのに体育大学大学行けるわけないじゃんwって思いながらずーっと引っかかっていた。
「保母さんの資格取れるんだ…」
↑一瞬、幼少期のなりたい幼稚園の先生がちらついた
結局はこちらも何もアクションせずに終わったが、学校卒業して、社会人になっても、あの大学行ってたら、私何になってたかな…
と頭をよぎる。
今のように多種多様な働き方進学の仕方、大学だけが全てじゃない、社会に出たら実力だよ…っていうのが浸透してなかったし、親も全く耳を傾けないタチだったので、(多分、今でも)私もなんで体育大学に行ってみたいかを論破するだけの思いがなかったんだな。
今はネットもあって情報がすぐに手に入るし、選択肢が沢山あって羨ましい。
結果、就職先も偶然募集していたところに滑り込んだが、ここも「カラダ」に密接に関する業種だった。
ノープランで入社した割には長いことお世話になってて、担当業務も幸いなことに色々経験させてもらえた。その中で結構大変な「展示会」のスタッフも何年かやっていた。これは年に2回、1日200名強のお客様をお迎えする規模で、お客様の食事、喫茶、スタッフ社員の食事、会場運営などを先頭でやっていた。めちゃめちゃ気を使うし、体力的にも大変で、めんどくさいし、腹も立つので、やりたがる人あまり居ないけど私は好きだった。
華やかなイベントを後ろでサポートするが好きだ。裏方好きなんですね。やっぱり。
プライベートでもお料理教室の20周年パーティや25周年のクロージングパーティも幹事を頼まれて、なんだか仕切ってたし。
なんやかんや、大きめの集まりはスタッフを任されることが多い。
あっ。。。話はそれまくりwww
要は私は学生の時から明確な将来のビジョンや具体的なアクションを起こしておらず流されるままに生きてきたけど、でもその経験が全部潜在的に気になっていた「サポートする」職業、トレーナーの道に導かれていたんだな…と気付きました。
人生無駄なものは一つもない。
半世紀生きてきて、なりたいものができた。
残りの人生の方が少ない。
やるしかないよね。